私の知り合いに、震災の被害に合った地域の医療に加担するために宮城県へ渡った看護師がいます。自分の人生をかけて人々を助けたいというその思いは本当に素晴らしいものだと感じました。悲しいことに震災に合った地域では今だ医療における人材不足が深刻であり、宮城では看護師の求人が溢れている状況なのだそうです。
看護師に限らず、ボランティアを行なうにはそれ相応の覚悟が必要です。ボランティアと名乗った以上は、無償であっても行為に責任が生じます。看護師は医療の専門職ですので、その専門技術に対しても責任が生じます。
慈善にだけ頼った奉仕は長続きしないとマザーテレサが教えています。
しかし、現在の福祉の政策現場では、ボランティアによる負担を織り込んだものが進められていたようです。大規模なNPO法人の代表自身が、ボランティア人員の活用を説いているほどですので、状況は相当悪いようです。幸い、政権が変わっ、内閣府の参与から外れましたので、無償労働の活用という馬鹿な話は中断しました。
ボランティアの中でも、特に負担が大きいのは、福祉関係と医療関係です。どちらも人の根本的な生活や、人命がかかっているので、責任は重大です。
福祉ボランティアの話ですが、ある団体は、毎週土曜日に炊き出しを行っていました。多くの炊き出しを行なうには、朝から準備作業に取り掛からなければならず、1日仕事です。ある年のクリスマス・イブと元日は土曜日でした。
東日本大震災の翌日も土曜日でしたが、交通機関の乱れとボランティア員の安全確保のため、炊き出しは中止にしました。結果は1人が路上で亡くなられました。たまたまかもしれませんが、発見されたのが日曜日の早朝でしたので、炊き出しと見回りを中止していなければ、気がつけたかもしれません。
特に元日は、飲食店も閉店していることが多く、他に食料を調達できる見込みも少なくなっています。同じことが起こるとはいえませんが、炊き出しを中止するわけにはいきません。
奉仕活動でボランティアに頼りすぎてしまうのも考えものだと思います。国がしっかり人助けにお金を注ぎ込み、確実に人々のもとに救済の手が差し伸べられるべきです。